野村誠年表

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1968
名古屋で生まれる。

1974
幼稚園での音楽教室で足踏みオルガンを覚える。

1977(小2〜3)
病気がちでほとんど学校に行けなかった2年生の3学期、自宅で突然作曲を始めた。 最初の作曲は、16小節の2部形式のピアノ曲だった。3月には、1ヶ月の入院生活。 退院後、山田誠津子(のちの遠藤誠津子)にピアノを習い始める。バルトー
クのレコー ドを聴かせてもらったり、林光のピアノの本を紹介してもらったり、現代音楽につい て話を聞かせてもらったり、音楽の技術的な側面以外の部分で有益なレッスンを受け る。学校の作文などで尊敬する人にバルトークをあげ、怪しまれる。ピアノ曲「笛の音」、「雨だれポタン」、「電車ごっこ」などを次々に作曲。

1978(小3〜4)
ピアノ曲「星のワルツ」作曲。当時は、天文少年で毎日望遠鏡で空の星を観察していた。

1979(小4〜5)
ピアノ曲「たぬきときつね」の作曲に没頭(完成は80年に入って)。

1980(小5〜6)
ピアノ曲「たぬきときつね」が、クラスで大ヒット。連日、弾き続ける。 トランペットとピアノのための「さすらいのルンペン」を作曲。小学校では、相撲部と器楽部に在籍。

1981(小6〜中1)
ピアノ曲「月の光」作曲。中学校では落語研究会に在籍。

1982(中1〜2)
ピアノ曲「ソナタ」作曲

1983(中2〜3)
作曲に行き詰まり、即興演奏に明け暮れる。 この頃、作曲家としての才能がないのではと、作曲の道を諦めかける。

1984(中3〜高1)
高校受験への逃避からか、受験が近づくと創作意欲が増し、作曲が面白くって仕方な くなる。 ピアノ組曲「ONIの衰退」(全5楽章)を作曲

1985(高1〜2)
ピアノ曲「天国と地獄のファンタジー」作曲。 作曲家の戸島美喜夫氏を訪ね、芸大受験のためのレッスンを受けようと思う。しかし、 戸島氏に「先生に言われた通りに曲を直すようでは、一流にはなれない」と言われ、 音大を受験しないことを決意。

1986(高2〜3)
ピアノ曲「無題」作曲

1987
京都大学理学部に入学。大学同期の大井浩明(ピアニスト)と知り合い現代音楽の楽譜をいっぱい見る。 次々に知り合う友人(鈴木潤、芦津直人、小林薫ほか)と即興演奏。

1988
作曲サークル「LAS」を小林薫ほかと結成。 小林薫ほかと「民族音楽を聴く会」などを開催し、「世界民族音楽体系」のレーザーディスクを4時間ずつ見る会を全8回に渡って企画(実現は5回)。

1989
京大西部講堂で3日間に渡るコンサート「ケージバン」を大井浩明、小林薫ほかと開催。3日間で40曲以上 のプログラムを演奏。これを機に、大学の授業はほとんど出席しなくなり、音楽活動 に専念。

1990
大学の授業には、全く出席せず、音楽活動に専念。京都パフォーミングアーツセンターでコンサート「偽装難民がやてきたよ」(脇坂明史との企画)、関西日仏学館でコンサート「時の終わりのために」(大井浩明との企画)を開催。京都市立芸術大学ギャラリーでグループ展「肉コンプレックス」に参加。ウォークマンをつけたパフォーマ−のための「組曲」を作曲。
フルート2本とヴァイオリンのための「Talea」を作曲。これ以降、楽譜に完全に記譜された作品を一切書かなくなる(次に書くのは、96年の「踊れ!ベートーヴェン」や「神戸のホケット」)。その後の主な作曲の仕方は、口伝えや共同作曲になる。他、毎月1回以上の頻度で、次々にコンサートを行う。バンド「pou-fou」結成(澤民樹ヴァイオリン、豊永亮ギターBob Barrazaパーカッション)。プリペアドピアノのための「Ragamuffin Dance」を作曲。京都精華大学で「中西美穂×野村誠」展を開催。11日間連続で合計19回のパフォーマンスを行う。毎回、様々なゲストとの即興もあり、初対面のダンサー
山下残、芦津直人+Paul Benthamによるバレエダンサーズ、プ−フ−のメンバー、坂本公成(ダンス)、脇坂明史などが出演。また、この展覧会を機に、杉岡正章鶴、井上信太、安景子、名和由紀子など美術関係の知り合いが増えて視野が広がった。ジョン・ゾーン(作曲家、サックス奏者)に「ニューヨークに住んで音楽をすればいい」と言われて、そんなものかと思い、ニューヨークに渡り音楽活動を開始。

1991
ニューヨークにあまり魅力を感じず、京都に戻り、大学卒業を目指す(当時は、留年して大学5回生)。 プ−フ−の5人目のメンバーとして、小林薫(ホルン)が加わる。プ−フ−でソニー・ミュージック・エンタテインメントのオーディションに応募したところ、テー プ審査、地区予選などで選ばれ、東京の本選に出場し、意外にもグランプリとなりCDデビューが決まってしまう。東京での最終のオーディションの1曲目では、小林薫指揮による即興を行った(決めごとは、指揮者に合わせて演奏する、というだけ)。あひるが丘保育園で、杉岡正章鶴、井上信太とパフォーマンス。スライドの投影と楽器の演奏に園児たちは、飛び跳ね、踊り、楽器を叩き、トランス状態になった伝説的な一日になった。この様子については、「子どもたちの想像力を育む」(東京大学出版会)に原稿を書きました。

1992
プ−フ−が、NHKの音楽番組「私達新音楽人です」に出演。山下残(ダンサー)、澤民樹(ヴァイオリン)と初めての路上演奏を行う。京都大学理学部卒業。卒業式の前後は、レコーディングの真っ最中だった。しかし、こちらの音楽がジャンルにあてはまりにくいので、レコード会社も意欲的にスタッフを交差ジャンル的にしてみたのだが、矢沢永吉を売ったのが自慢のディレクターと、佐野元春とかのアレンジをしているNY帰りのハウスミュージックのプロデューサーと、矢野顕子などのレコーディングをしているが現代音楽好きのエンジニアの3者の意見が全く噛み合わず、アーティストであるぼくらの方が間を取り持たなくてはならず、苦労する。そんな苦労の末、プ−フ−のCD「バードチェイス」が発売される。CDを出すのは、これが初めてで、当分CDを作る気がなくなる(次にCD作るのは、9年後)。

1993
プーフ−で、名古屋市美術館でのコンサート。美術館で演奏するのは、これが初めてだった。杉岡正章鶴、山下残と歩行器によるパフォーマンス作品「バレエ」を公園など野外で(ゲリラ的に勝手に)公開練習する活動を続ける。犬の散歩の人、スケボー少年らと交流する。 島袋道浩(美術家)と路上バンド(仮称)を開始。プーフーで京都造形芸術大学で特別講師。大学で講義をするのは初めて(とは言っても、演奏を して聴いてもらうのが、ほとんどだったのですが、、、)。テープ音楽「レレレのレ」を作曲。

1994
劇音楽「大温室」を作曲。一般公募で集まったボランティア演奏家たち約30人で20曲近い曲を演奏。詩の朗読のイベント「シビレル」を開催。詩人の吉増剛造さんと濃密に遭遇。この模様は吉増さんの詩「路上バンドにあった日に、神はドイツへ行ってしまった」として作品化される。ブリティッシュカウンシルの助成金を得て、イギリスへ。ヨーク大学を拠点にイギリ ス各地で音楽活動。

1995
一時帰国し、水戸芸術館で「でしでしでし」を初演。中学生の吹奏楽団が加わった6 0人近い作品。中学校を訪れた時に、初めて「作曲家」という肩書きを名乗り、その後も「作曲家」と名乗り続けることになる。「でしでしでし」は、イギリスで
も別バー ジョンで数度に渡って上演した。イギリスの小学校、中学校などでワークショップをたびたび行う。Hugh Nankivell(音楽家)と、Bishop of Fish Drinks Sakeを結成。リーズ、ハダスフィールドでライブ。 Charles Hayward(ドラマー)とロンドンで何度か演奏の仕事をする。ヨークで「神戸のためのコンサート」を開催。10月、帰国。 路上で「サザエさん」を演奏し始める。

1996
The British Journal of Music Education(ケンブリッジ大学出版)に、原稿Follow Children’s Musicが掲載される。原稿が出版されるのは初めてで、なんと日本語よりも英語が先だった。島袋道浩のインスタレーションのため自動ピアノのための「南半球」を作曲。Charles Haywardの日本ツアーで共演。その演奏がロクスソルスよりCDとして発売される。「踊れ!ベートーヴェン」作曲。初めて作曲委嘱料というものをもらう。インドネシアツアーでも好評。 ローランドの音楽教育通信に原稿を書き、初めて原稿料というものをもらう。「教育音楽 小学版」に「子どもたちと音楽を作った!」を連載開始。この頃は、原稿を書き慣れなかったので、一日がかりで時間をかけて原稿を書いていた。第1回ミュージックマージュフェスティバルに出演。鍵盤ハーモニカオーケストラ「P−ブロッ」を結成し、鍵盤ハーモニカだけで、演奏。大好評で、海外からのミュージシャンたちにも絶賛され、すぐにイタリアのフェスティバルから資料を送ってくれ、と連絡が入ったりして、これは海外公演もすぐできると甘く考えたが、自ら国際交流基金などに助成申請するなどのアクションを一切起こさなかったため、P−ブロッの海外公演は2004年のリールまで起こらなかった。JCC ART AWARDSの現代音楽部門最優秀賞を受賞。作曲、演奏の仕事をつなぎながら、足りないと路上演奏で食費を稼ぐという苦しい時期に、応募もしていないのに、推薦されて賞金が舞い込んできたのは、本当にありがたかった。「神戸のホケット」作曲。

1997
2台ピアノのための「ナマムギ・ナマゴメ」を作曲。シンガーソングライター「Taske」のCDを島袋道浩とプロデュース。他のアーティストのプロデュースをするのは、初めてのことだった。 国立武蔵野学院という教護院に2ヶ月だけ代役で音楽を教えに行く。学校の先生をするのは初めての経験。入所している子どもたちは、少年犯罪を犯した子どもの中でも、国立クラスの凄 い犯罪を犯した人たちだったらしい。この曲弾いて、あの曲弾いてと、リクエストに 応えて、あれこれピアノを弾いていたら、喜ばれた。振付家ジャンクロード・ガロッタの要請で、グルノーブル国立振付センター(フランス)で作曲家/ピアニストとして働く。ガロッタとの方向性が合わず、プロジェクト は完成しなかった。岐阜県音楽療法研究所に講師として招かれ、ワークショップ、パネルディスカッションなどを行う。話をしてお金をもらう初めての仕事だった。箏曲「押亀のエテュード」を作曲。和楽器のために作曲するのは初めてだった。

1998
「ナマムギ・ナマゴメ」がオランダ、ベルギーで初演されて(大井浩明、向井山朋子)好評との知らせを受ける。日本では、アサヒビールロビーコンサートで初演され(高橋悠治、高橋アキ)、アサヒビールでも大好評。 その後アサヒビールから、数多くの支援を受ける。また、この曲がきっかけで、クラ シック系や現代音楽系の演奏家から、作曲の委嘱がくるようになった。アサヒビールの人達が「野村誠は面白い」と宣伝してくれたようで、企業のメセナ関係者、アート業界の人々にあっという間に名が知れ渡り、業界で有名な人になってしまう。この辺から収入は激増して、お金の心配がなくなり、好きに仕事ができるようになるし、平気で断れる経済力になる。富山大学非常勤講師として、現代文化の授業でストリートミュージックについて語る。 大学の講師をするのは、これが初めてだった。アサヒビールの委嘱で「ごんべえさん」を作曲。尺八、箏、ちくわ、鍵盤ハーモニカなどのアンサンブルで初演。箏の教則本のために、何曲か練習曲を作曲。出版される。30歳の誕生日を迎えた翌日から、パリで開催された「どないやねん!現代日本の創造力」に出演。1ヶ月半に渡りパリに滞在し、様々な演奏、パフォーマンスを行った。

1999
アーツフォーラム・ジャパンの企画で、「野村誠ワークショップ、お年寄りとの共同作曲」を行う。老人ホームを40回以上訪れ、共同作曲を続けた長期プロジェクト。 朝日新聞の天声人語で紹介されたのを皮切りに、新聞、雑誌、テレビなど様々
なメディ アで話題になり、最初は嬉しいと思ったが、結局、都合のいいように報道されただけ で、だんだん取材が面倒になる。活動が誤解されてしまいそうな記事、勉強不足で取材に来る記者などには、だんだんうんざりする。そんな中で、NHKの野方さんという アナウンサーは、「野村さんとは、台本を見ずに自由に話をしたい」と、生放送にも関わらず、台本を全く見ずにインタビューをしてくれたのは、嬉しかった。「つん、こいつめ」初演。初演時の演奏が、CD「糸」に収録。フォンテックより発売される。初の著書(CDブック)「路上日記」(ペヨトル工房)が発売される。これまた、新聞、雑誌、テレビなどで報道された。この年は、この本のプロモーションのために、 テレビ、ラジオなどに出演したりで、創作に割ける時間が少なくなっていった。電子オルガンのための「FとIはささいなことでけんかした」が、パリで初演。

2000
前年は、お年寄りとのワークショップと路上日記のプロモーションに明け暮れたので、 2000年は創作欲が高く、委嘱も続いたので、次々に新作を発表できた。ピアノ曲「たまごをもって家出する」を作曲。オランダで向井山朋子がCD録音。ガムラン曲「せみ」、山下残のダンスのための「足を喰う犬」、箏曲「りす」、アコーディオンとヴァイオリンとチェロのための「How Many Spinatch Amen!」などを作曲。慶応大学で初の「しょうぎ作曲」ワークショップ。16人という大人数で実践して、人数の多い「しょうぎ作曲」の可能性を発見。「エイブルアートワークショップ2000」で、基調講演というのを任され、なんと3時間に渡って講演をした。基調講演というのは、生まれて初めて。 しょうぎ作曲の初めてのイベント「野村誠としょうぎ作曲まつり」を開催。29人に よる「しょうぎ作曲」で40分の大作が完成。

2001
「タコとタヌキ 島袋野村芸術研究基金」を設立。東京オペラシティアートギャラリー での「出会い」展で、2ヶ月間事務所を開き、やりたいことがあるけど、お金やアイ ディアがちょっと足りなくてできない人たちの企画を聞いて、実現のために、一緒に考えたり、お金を提供したり、アイディアを提供したりした。連日、何十人、何百人の人と出会い、話を続けた。 京都女子大学児童学科で講師を始める。女子大生とのコミュニケーションに苦労しながら、自分の音楽表現でどこまで関係が作れるのか、模索を続ける。音楽の根源や自由について、考えさせられる貴重な場となる。NPO法人「芸術家と子どもたち」の理事をすることになる。最初の頃は、真面目に理事会に参加できていたが、スケジュールが合わずに、だんだん幽霊部員状態になっている。野村幸弘の呼び掛けに応じて、毎月のように『岐阜大学芸術フォーラム』(幻想工房主催、岐阜大学主催ではありません)に足を運び、交流したり、話をしたりする。ガムラン「桃太郎」第1場初演。「山口アートマネジメント隊」というプロジェクトで、市民スタッフで野村誠チームを選んだ人たちと企画を考え始めるが、なかなか企画は実現しないで、月日が流れて いく。 ピアノ曲「DVがなくなる日のためのインテルメッツォ」を作曲。初演とともに、楽譜が出版される。ヘイワードギャラリー(ロンドン)での展覧会「Facts of life」に参加。「しょうぎ作曲」をロンドン市内のアパート、家屋、美術大学、中学校、小学校、などで地元の人々と行い、滞在中に50曲以上を作曲する(片岡祐介、林加奈、池田邦太郎、片岡由紀が参加)。初のオーケストラ作品(ピアノ協奏曲)、「だるまさん作曲中」を作曲。全5楽章、30分の作品。「セルフエデュケーション時代」(フィルムアート社)に、「共同作曲/野村誠プロジェクト」を執筆。高嶺格(美術家)、エマニエル・ユイン(ダンス)、パク・ホビン(ダンス)、砂連尾理(ダンス)、ほかと共同制作作品を上演。 立教大学に非常勤講師としてお話しに行く。立教大学で倒れて急逝した如月小春さん の一周忌の意味も込めて。

2002
箏の7重奏「52×51」を作曲。若手の箏演奏家のグループ「箏衛門」が演奏。演奏がとてもいいので、感激。ピアノ曲「DVがなくなる日のためのインテルメッツォ(間奏曲)」が、CD化。エアープレーンレーベルより発売。豊科近代美術館でワークショップとコンサート。野村幸弘との映像作品「学校の音楽」 などを発表。ASIASの企画により野村幸弘との映像作品「体育館の音楽」、「屋上の音楽」を発表。新設された東京芸大の音楽環境創造科に、非常勤講師として巻き込まれ、学生たちと プロジェクトをやることしになる。クラリネット、箏、パーカッション、マリンバ、コントラバスのための「自閉症者の即興音楽」を作曲。アサヒビールの委嘱。佐倉市美術館での「耳をひらいて」で、野村幸弘との映像作品「城址公園の音楽」、 「武家屋敷の音楽」を発表。「桃太郎第2場」初演。箏アンサンブル「せみbongo」初演(水戸芸術館にて)。東京芸大で、学生の企画により、松原勝也(ヴァイオリン、東京芸大助教授)とのジョ イントトーク&演奏&作曲ショーを行う。井上信太(美術家)、森裕子(ダンサー)、山田珠実(ダンサー)、前田真二郎(映像作家)と3日間の即興公演。立教大学に非常勤講師として、お話しに行く(如月さんの3回忌の意味も込めて)。野村誠作曲作品集CD「せみ」がシュタインハントから発売。

2003
クラリネット版「インテルメッツォ」(高橋信編曲)が札幌で初演。このクラリネット版も出版された。マリンバと三味線のための「小さな平和活動」が通崎睦美、高田和子により初演。京都女子大学の児童学科1回 生の友人と、平和と子どもと農業などについて交わしたメールをテキストにした作品。十七弦デュオのための「つみき」を菊地奈緒子、市川慎が初演。即興性の高い作品。第1回アサヒビール芸術賞を受賞。「子どもたちの創造力を育む」(東京大学出版会)に、『野村誠と子どもたちの共同 作曲』を執筆。毎日新聞夕刊に連載開始。新聞に連載するのは初めてのこと。ガムランの新曲「ペペロペロ」を発表。振付のように作曲。賛否両論ある。マルガサリCDに収録。水口碧水ホールで、初の野村誠作曲作品個展。 続いて、groningenでも初の海外での野村誠作曲作品個展。P−ブロッの1stCD発売。Collection Lambert, Avignon(フランス)の招きでアヴィニョンに滞在、アヴィニョンの音楽院、美術学校、高校などでワークショップを行い、楽しんできた。2台ピアノのための「パニック青二才」を作曲。大井浩明、鈴木貴彦により初演。音符がいっぱいで、真っ黒黒の譜面が30ページほど続く曲で、演奏者に苦労を強いてしまった。

2004
山口情報芸術センターで「しょうぎ交響曲の誕生」。しょうぎ交響曲第1番「ちんど ん人生」、第2番「どこ行くの」、第3番「開館」の3曲を初演。司会、ピアノ演奏、 玩具楽器や鍵盤ハーモニカの演奏、オーケストラの指揮と一人で何役もこなしたが気 分の切り換えが大変。しかし、コンサートは大成功。えずこホール(宮城県大河原町)でホエールトーン・オペラ第1幕初演(Hugh Nankivellとの共同プロジェクト)。リコーダー、笙、オルガンのための「どちらにしようかな」を作曲。愛知県芸術文化センターで鈴木俊哉、宮田まゆみ、新山恵理により初演。パイプオルガンの様々な音色を触らせてもらうのは、とっても楽しかった。グループ展「サウンドマインナゴヤ」に参加。久しぶりに名古屋に長期滞在をした。アコーディオンソロのための「ロシアンたんぽぽ」を作曲。御喜美江により初演。「自閉症者の即興音楽」をMU楽団のために改訂。改訂版が初演される。Collection Lambertの招待で再びアヴィニョンに。また、ワークショップを色々やる。京都女子大学児童学科の講師を退職。女子大生から寄せ書きをもらったり、歌を作ってプレゼントされたりして、キュンとする。フランス、リールでの現代美術展「Akimahen」に参加。P−ブロッとしての初の海外公演。ワゼムのアコーディオンフェスティバルにも出演。P−ブロッメンバーに加えて、大田智美(アコーディオン)、本間直樹(ヴィオラ)、Thiery Montagne(アコー ディオン)も共演。Ikon Gallery(バーミンガム)で、パフォーマンス。動物が来る音楽会、難民協会のメンバーとの「しょうぎ作曲」、Helena Gough(作曲家)との「しょうぎ作曲」、中 学生との「しょうぎ作曲」などを演奏。 The Grundy Art Gallery(ブラックプール)で、ティーンエイジャーのオーケストラ のメンバーと3日間のワークショップ。また、動物園でのロケ。老人ホームでの歌作 り。ジプシーの家族とアコーディオン即興セッションなど。Lawrence Batley Theatre(ハダスフィールド)で、ホエールトーン・オペラ第2幕を上演。Lindley Schoolでワークショップをした他、プロの音楽家のためのワークショップ&レクチャー、養護学校でのワークショップ、コミュニティグループのためのワークショップなど、ハダスフィールド近郊で連日働く。 ロンドンの国際交流基金でレクチャー&ワークショップ。 エイブルアート・オンステージの実行委員をすることになる。水口町立碧水ホールで、2回目の野村誠個展コンサート。ワークショップ参加者と作ったガムランのための「だいんだいん」を初演。単行本「即興演奏ってどうやるの」(片岡祐介と共著、CDつき)が、あおぞら音楽社から発売になる。世の中、デタラメ演奏に困っている人が多いのか、発売1ヶ月半で重版、2年後には第3版と好評。マルガサリとの共同作業、ガムラン楽舞劇「桃太郎」第4場初演。鍵盤ハーモニカ5重奏「あたまがトンビ」を作曲。P−ブロッにより初演。神戸市立自然の家で、小学生とのワークショップ「火の音楽会」を開催。手作り線香花火、火打石のオーケストラ、キャンプファイヤーをマイクで増幅、キャンプファイヤーの音を聴診器で聞く、火の四重奏、火とピアノの共演などなど。準備も含めて、6夜キャンプファイヤーを行った。大学生を中心としたサポートスタッフのサポートに助けられ、難しいプロジェクトを何とか成功。アコーディオンソロのための「誰といますか?」を作曲。「たんぽぽ組曲」の2曲目として。インプロピクニック第1弾。タイ(バンコク、アユタヤ)で。タイのアーティストと様々な即興コラボレーションを映像化するプロジェクト。Anant Narkkongを初めとするタイのアーティストと。野村幸弘によりDVD化。

2005年
マリンバとピアノのための「くつがえさー音頭」を作曲。片岡祐介と岡崎香奈により世界初演。その後も何度も再演される。
Hugh Nankivellとの「ホエールトーン・オペラ」第3幕初演(えずこホール)。住民と1週間で作るオペラ。梅津和時(サックス)、山川冬樹(ホーメイ)、名倉亜矢子(歌)、長須与佳(琵琶)がゲスト参加で、えずこウインドアンサンブル有志も参加した。「誰といますか?」が御喜美江(アコーディオン)により世界初演。横浜みなとみらいホールで、小学生とオルガン曲を作曲するワークショップ。倉品淳子(俳優)、石川泰(作曲家・カウンセラー)、新山恵理(オルガン)という豪華ゲストで、とんでもないワークショップになった。また、ここで各自が作曲した素材を野村がオルガン曲として作曲することになった。幼児向け音遊びの本「音・リズム・からだ」(民衆社)が出版される(林加奈、鈴木潤と共著)。今までにないタイプの本として、好評。1年後には重版になる。音楽療法士の石村真紀とピアノデュオ即興コンサートを行う。フリー即興2時間ライブ。インプロピクニック第2弾。インドネシアのジョグジャカルタ郊外を中心に。Anant Narkong(タイ)、Yohanes Subowo(インドネシア)、中川真、佐久間新らと標高700mの山頂で連日繰り広げた即興セッションを、野村幸弘が撮影、DVD化。P−ブロッが鍵ハモ・ミュージカル「でみこの一生」を世界初演。メンバーが脚本、作曲、上演すべてを担当。全7曲から成る組曲「オルガンスープ」を作曲。新山恵理が横浜みなとみらいホールで世界初演。その後、サントリーホール、池袋芸術劇場でも再演。この楽譜のスコアを簡易印刷し、その後同ホールで演奏した人に渡していくことにする。また、希望する人には、同ホールに問い合わせればで簡易印刷した楽譜が実費で入手できる。徳島近代美術館で「絵を音楽にする」ワークショップ。野村幸弘によりDVD作品「モダンアートの音楽」として発表。絵を音楽にするワークショップは、絵によって音楽が全然違ってくるので、すごく可能性を感じた。また、一つの絵画を楽譜として見ていると自然と2時間見続けるたり、絵の中に色々な発見をするなど、美術鑑賞の新しいあり方も提示。第1回コラボ・シアター・フェスティバル開催。フェスティバル・ディレクターを務める。イギリスから劇団を招聘したりアフタートークをやったり、自らガムラン作品に出演したり、高嶺格、川口淳一、野村幸弘とのとんでもないシンポジウムを開催したり。フル稼働の一週間でした。「音楽ノ未来 野村誠の世界vol.3」を開催。ワークショップで作るガムラン作品「さるう」世界初演。横浜動物園「ズーラシア」に1泊2日で撮影。映像作品「ズーラシアの音楽」(野村幸弘と共作)を横浜トリエンナーレで発表。アリクイが鍵盤ハーモニカを演奏したのが初体験。飼育係の人といっぱい友達になれた。ホエールトーン・オペラ第4幕初演(ハダスフィールド大学)。ゲストにCharles Hayward(ドラム)Pete Moser(トランペット), Carol Grimes(歌), 林加奈(おもちゃ楽器)が参加。これで、ホエールトーン・オペラが完結。アコーディオンとピアノのための「ウマとの音楽」を作曲。映像作品をもとに作曲する初の試み。

2006年
「Japasta Cooking」を作曲。ルーマニアで小湊昭尚(尺八)、菊地奈緒子(箏)、市川慎(17絃)により世界初演。その後、ブルガリア、セルビアでも再演。東欧諸国で自作が演奏されるのは、多分初めて。弦楽四重奏「アートサーカス」、「ズーラシア」を作曲。松原勝也、鈴木理恵子(ヴァイオリン)、井野邉大輔(ヴィオラ)、安田謙一郎(チェロ)により世界初演。「ウマとの音楽」が大田智美(アコーディオン)、佐藤信子(ピアノ)によりドイツで世界初演。マリンバとピアノのための「てぬき」を作曲。片岡祐介、野村誠により世界初演。「老人ホームに音楽がひびく」(大沢久子と共著)が晶文社より刊行。NHK教育テレビの新番組「あいのて」の監修を1年間務めることに。また、全20回にレギュラー出演して、あかのあいのてさん役。番組で登場するほとんどすべての楽曲を作曲し、年間100曲近く作曲。この1年は、「あいのて」に明け暮れる一年だった。日英のアーティストと地元住民によるホエールトーン・オペラ全幕上演。えずこホール。舞台美術は井上信太。大成功。えずこホールの住民参加型総合音楽劇の総合監修に就任。半年に渡り、毎週のように演劇、ダンス、音楽、美術などのアーティストがワークショップを行うようにした。絵本作家の荒井良二とワークショップ。真夏にヘトヘトになりながら、小学生と過ごした実験アートの3日間。ワークショップによるガムラン新作「青ダルマどん」世界初演。インプロピクニック第3弾を日本で開催。第2弾のインドネシアのメンバーに加えて、片岡祐介、尾引浩志、林加奈も加わった。ガムラン楽舞劇「桃太郎」全幕上演の世界初演。壮絶な4時間で、大反響。桃太郎と鬼の戦いシーンでは、まじで見てはいけないものを見てしまった。鶴見幸代と「ブログ音楽」を共同作曲。20曲から成るアコーディオンの小品集。御喜美江が世界初演。取手アートプロジェクト2006で仕掛けあいプロジェクト「あーだ・こーだ・けーだ(ACD)」を立ち上げ。公募で選考した17組26名のアーティストと市民アートマネジメントスタッフがコラボレートして、行う様々なプロジェクト。50以上のプロジェクトが行われ、プロデューサーの野村自身が全体を把握することができない盛り上がりを見せた。P−ブロッが10周年を記念してイギリスツアー。各地で好評。

2007年
山下残演出「動物の演劇」で、アコーディオン+ピアノの「動物の演劇」を完成。「ズーラシアの音楽」を基調にすべて書き下ろし。5公演が完売、満席。いつになく演奏も頑張って練習し、調律もこだわって仕事をして大好評。全力投球でした。演劇交響曲第一番「十年音泉」を世界初演。ギターオーケストラ、児童合唱、吹奏楽、を初めとする様々な楽曲がすべて世界初演。3時間半の大ステージ。出演者総勢300名程度。倉品淳子、矢内原美邦と共同演出で、美術が藤浩志、野点きむらとしろうじんじん。作曲に、坂野嘉彦、鶴見幸代、寺内大輔、尾引浩志、片岡祐介、劇作に明神慈、わたなべなおこ、柏木陽、という超豪華スタッフ。平盛小学校で4年生とアーティストによる「宇宙ですてぃにー ワニバレエ」を世界初演。NHKの番組「あいのて」が惜しまれながら最終回を迎える。アコーディオン独奏のための「ブタとの音楽」を作曲。ウィーンにてグジェゴシュ・ストパが世界初演。ドイツ、フォルクヴァンク音楽大学にて、ワークショップ。ベルリンにて、しょうぎ作曲ワークショップと、鍵ハモソロライブ。荒井良二(絵本作家)と新津美術館でワークショップ。グランドピアノにペインティングし、青空の下で演奏した。P−ブロッによる「野村IDを惑わせろ」にて、しばてつのピアノ曲「ノイケルン」を世界初演したり、吉森信とデュオをしたりして、ピアノを購入することを決意する。内橋和久主宰のフェスティバルFBIの最終回に出演し、外山明、カール・ストーン、西川文章と即興演奏。白井剛(振付家)とのコラボレートで、「Physical Pianist」と「Silent Conductor」、「Physical melodica」を発表。クロールやバタフライの動きでピアノを弾いたり、足で弾いたり、様々な動作で演奏。イギリス、ハダスフィールドで佐久間新とワークショップ。英国、エディンバラ大学にて、ガムランのワークショップ。グラスゴーにて、即興パフォーマンスに出演。オーストリアのクレムス現代音楽祭にて、1週間の滞在制作で地元の子どもや住民も巻き込んだパフォーマンスi-picnicを成功させる。BankARTで開催された「Wあつしの大運動会」に出演。ニニンサッキョクなど、様々なプロジェクトが生まれる。あいのてさんで、日本各地をツアーした後、野村幸弘(映像)、Anant Narkkong(タイ伝統楽器)やぶくみこ(パーカッション)とタイ、カンボジアを撮影ツアー。

2008
片岡祐介との共著「音楽ってどうやるの」が、あおぞら音楽社より出版される。中野ZEROにて谷川賢作(ピアノ)、池田邦太郎(音楽家)との即興ライブ。ブレーン5月号(宣伝会議)に、田村淳(ロンドンブーツ1号2号)、宮本敬文(写真家)との対談が掲載される。コペンハーゲンで共同作曲のレクチャーとワークショップ。ベルリンのexploratoriumにて、Melodica Summit開催、鍵ハモソロ、鍵ハモアンサンブル(小瀬泉)、ダルブッカ(やぶくみこ)とのデュオ、アコーディオン(大田智美)+ピアノの「ウマとの音楽」、ラップトップ(堀哲也)とのデュオなど、鍵盤ハーモニカの魅力を様々に発表。国際芸術センター青森にて、鍵盤ハーモニカのワークショップを行い「Ship(Broom)」、「女たちは」、「ききわけられる」、「アトリウム」の4曲を創作。インドネシア3都市(Bentara Budaya Jakarta、Taman Budaya Yogyakarta、Cak Durasim Surabaya)でガムランシアター「桃太郎」をインドネシア初演。大田智美さんのための5楽章から成る「アコーディオン協奏曲」を作曲。東京で書き始め、オランダの空港でも書いて、最後はイギリスのヨークで書き上げる。水戸芸術館にて、P-ブロッコンサート。鍵ハモビッグバンド、鍵ハモ交響楽団の2つのワークショップも行う。イギリスDartingtonにて、大学1年生30人によるホエールトーン・オペラ第3幕。5つの小学校合同で、ホエールトーン・オペラ第2幕を上演。Marsden Jazz Festivalに出演。Hebden Bridgeにあるモンテソーリスクールにて、ワークショップ。「Frunmanized Music」、「Bookology」を作曲。東京にて「メロディカサミットin Tokyo」開催。手塚夏子(ダンサー)の顔と顔カフェで、トークとセッションとワークショップ。鍵ハモトリオのための「ベルハモまつり」作曲。

2009
遠田誠(ダンサー)、倉品淳子(俳優)、吉野さつき(ワークショップ・コーディネーター)と「門限ズ」を結成。門仲天井ホールで、ゲストにヒュー・ナンキヴェルを招いて初ライブ。Hugh Nankivellとプロジェクト「Keyborad Choreography Collection」を開始。えずこホールにて、初公開(ゲスト、佐久間新)。ホエールトーン・オペラ第1幕を平盛小学校で上演。小学校の先生を対象としたワークショップのアイディア集DVDを収録。柏木陽(演出家)、山下残(振付家)と3人で、中高生のためのワークショップ(目黒パーシモンホール)。「アコーディオン協奏曲」がドイツ(エッセン)にて、アコーディオン(大田智美)、指揮(Chiristophe Schefer)、弦楽(Bochmen Symphoniker)により世界初演。Janne Rättyäによりアコーディオンのための「Art Tower Mito」がオランダ、フローニンゲンにて世界初演。東京にて、Soon Kim(sax)との即興ライブ。つき山いくよとのパフォーマンスで、ギターを弾いたり、パンを焼いたりする。大井浩明により「ベルハモまつり」がフォルテピアノで初演。東京芸術劇場にて、小学生に振付した新作「ウインドセプテット」、「ごしゃんぽん」、「ナナリンピック」の3作品を発表。振付は初の仕事。今度はプロのダンサーに振付したい。あいのてさんのCD「Live in Toyama」が発売。しょうぎ作曲の楽譜が、「Notations21」に掲載され、また、アメリカの各地で展示もされる。「まえまちアートセンター」を作曲。ロンドンのSpitalfields Summer Festivalに出演。イギリスExeterでワークショップ。イギリスAmersham Music Centreでコンサート。詩人のPeter Spafford、音楽家のHugh Nankivellとハダスフィールドの小学校でワークショップ。リーズでコンサート。ロンドンの国際交流基金で鍵盤ハーモニカについてのレクチャー。130名を越える超満員の観客から、次々に質問が飛び交う。ロンドンのcafe otoにて、あいのてさん、門限ズのライブ。Exeter Respect festival出演。小学校、高校でのワークショップ。5万曲のレパートリーを持つ「茶碗蒸しリスペクト」誕生。プリマス・バービカンシアターにて公演。モアカムの凧上げフェスティバルに出演し、見えない凧をあげるパフォーマンスや、通りがかりの子どもとの即興セッション。ニューカッスルのBalticで幼児とのワークショップをし、The Sage Gatesheadで高齢者とワークショップをする。それぞれで、コンサート。ヨーク大学で、Enrico Bertelli、やぶくみこ、片岡祐介とコンサート。東京芸術劇場にて、「キーコレ・リミックス」を発表。ピアノのための21の小品「福岡市美術館」作曲。福岡アジア美術トリエンナーレに参加。吹奏楽のための「福岡トリエンナーレ」世界初演。i-picnicハンガリー撮影ツアー。オーストリアのペルヒトルツドルフでワークショップ。クレムス現代音楽祭にて、パフォーマンス。イタリア、トレヴィソにてコンサートと野外即興セッションの撮影。福岡の大春湯にて、「お湯の音楽会」を開催。お湯を演奏し、歌う。アサヒアートスクエアと「野村誠×北斎」を始動。3回のレクチャーと2回のワークショップを経てコンサートをする試み。

2010
えずこホールにて、宮田篤との「らくがっき」ワークショップと、「えんそう快」を開催。愛媛大学で「芸術コラボレーション演習」集中講義。BankARTにて、「老人ホーム・REMIX#1」を初演。10年以上続けた老人ホーム「さくら苑」での活動が、ようやく形になる。「野村誠×北斎」を、元永拓(尺八)、竹澤悦子(箏)、片岡祐介(木琴)、尾引浩志(胡弓/イギル)にて初演。YouTubeにて、「帰ってきてあいのてさん」の公開を開始。「野村誠の左手の法則」を福岡市博物館で行う。ダンス、演劇、音楽、マネージメントの4つのワークショップから、「福岡市博物館REMIX」を作曲し、アジビホールにて初演。ダンスのための21の小品「福岡市美術館REMIX」を福岡市美術館で遠田誠+高須賀千江子のダンスで初演。NHK教育テレビ「ひみつのチカランド」に出演。鍵盤ハーモニカのテクニックの解説と、子どもたちとの合奏などを行う。新倉タケオの世界に出演し、1時間の自由即興。国立音楽大学でレクチャー。ストップウォッチと鍵盤ハーモニカのための新作「Melodica Stopwatch Quintet」を発表。あいちトリエンナーレ2010にて、「プールの音楽会」を開催バタ足5重奏や、「バタフライとゴジラ」など発表。整理券発券前から長蛇の列ができ、18分後にチケットがなくなり伝説の公演となる。「音楽づくりのヒント」が音楽之友社から出版される。ピアノのための「6つの新しいバガテル」作曲。大井浩明により世界初演。インドネシアに1年住むことにして、インドネシアに飛ぶ。インドネシア語勉強ソングを次々に作り、インドネシア語を勉強。イギリスに1ヶ月滞在し、「ホエールトーン・オペラ」をDartingtonで全幕上演、さらにThe Sage Gatesheadにて、Juice Festivalの企画で全幕上演する。その後、ムラピ山の噴火があり、日本に一時帰国する。

2011
噴火が収まり、マレーシアを経由して、インドネシアに戻る。インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校の大学院の作曲の授業で、片言のインドネシア語と英語を交えて講義をする。実験的な教育を行っているマングナン小学校に通い始める。若干20歳の作曲家Gardika Gigih Pradiptaと鍵盤ハーモニカのデュオを毎週のようにはじめ、様々な共同作曲を追求する。インドネシアで東日本大震災を受けてのコンサート「ジョグジャから日本へのメッセージ」を開催。宮城県大河原町のえずこホールからのメッセージなどを佐久間新さんに訳してもらい、インドネシア語でスピーチをする。インドネシアのダンサー、音楽家達と祈りの大即興セッションを繰り広げる。これをきっかけに、インドネシアのダンサー、音楽家とのコラボレートが一気に始まる。「原発やめます」と唱え始める。「あたまがトンビ」をアコーディオントリオに編曲。ボップクリ高校でガムランワークショップを開始し、コラボレート開始。Taman Budaya Yogyakarta(ジョグジャカルタ文化会館)で、「日本とジョグジャのコラボレーション」開催。山下彩子、千田美智子、やぶくみこ、野村誠、Suwarta、Yohanes Subowo、Jumek、Haryanto Taliwangsaほか出演。インドネシアの新聞6紙に記事が紹介される。ハリヤント・タリワンサの「地球の日」に出演。スラカルタの「世界ダンスの日」に出演。Tembi音楽祭に出演。Tembiにて、Gardika Gigih Pradipta作曲「Kampung Halaman」を世界初演。ジョグジャカルタ・ガムランフェスティバルに出演。ジョグジャカルタ・子ども創造音楽祭に出演。度々、新聞に紹介される。Selasar Sunaryo Art Spaceにて、ライブ。吉森信、やぶくみこ、Gardika Gigih Pradipta、Dodong Kodirと共演。全国紙コンパスの一面全部で、野村誠を紹介する新聞記事が出る。ボロブドゥールのスタントと5gunungとのコラボレート。マレーシアのUiTMで作曲のレクチャー。半年ぶりに帰国。横浜にて、野村誠の鍵盤コンサート「新しい日本と出会うために」開催。友部正人さんとのデュオし、日本での活動を再開。日本作曲家協議会のJFC作曲賞の審査員となり、譜面審査を行う。第1回あいのてさんワールドミュージックフェスティバルin小金井を開催。小金井で10年間フェスティバルを続けると宣言する。CDあいのてさん「Live in Jogja」を発表。原発事故を経て、多くの電気製品の使用をやめたり、化学洗剤をやめるなど、生活の仕方を変えていく。小布施にて「北斎音楽」開催。「北斎漫画四重奏曲」作曲し、ますます、和楽器への愛着が強まる。ニッポン放送のラジオ「上柳昌彦 山瀬まみ ごごばんフライデースペシャル」に出演し、鍵盤ハーモニカや北斎音楽について語る。JFC作曲賞本選会の審査を行い、全作品に長文のコメントをつけた上で、審査結果を発表。作曲するよりも、自作について原稿を書くよりも、100倍の労力とエネルギーを注いで審査にあたる。長崎大学にてワークショップ。cafe ZANPANOにて、野村誠のソロピアノライブをし、「ピアノ浪曲」とか「ピアノ漫談」と言われる。morpho cafeにて、やぶくみこ+野村誠デュオ。飛び入りで砂連尾理と白神ももこが踊る。「ポーコン ヴァイオリンとポータブル打楽器のための協奏曲」を作曲。野村幸弘、やぶくみこと台湾に撮影ツアー。現地の音楽家、ダンサーらと交流し、ますますアジアでの活動の可能性を感じる。「きせかえコンチェルト」を作曲。

2012

京都に避難してきたアーティストを支援する「職さがしプロジェクト」を始める。日本国際教育理解学会にてワークショップ。ジーベックにて、野村誠+近藤浩平企画による「ポータブル・コンチェルト」を開催。小さい畑を借りることになり、野菜を育て始める。ドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」老人ホームREMIX #2を、STスポットにて発表。(ダンス:砂連尾理、写真:杉本文、映像:上田謙太郎)。日本音楽療法学会四国支部大会にて、レクチャー。ピアノソロCDのためのレコーディングを行う。台湾の雑誌に6ページにわたり紹介記事が出る。遠田誠の「参づるダンス 参づるピアノ 参づる舞鶴」に出演。京都造形芸大にてレクチャー。アートアクセスあだちの委嘱で「千住だじゃれ音楽祭」を始動。第1弾として、野村誠ふろデュース「風呂フェッショナルなコンサート」を、北千住のタカラ湯にて開催。API Fellowとなり、東南アジアでのプロジェクトを開始。大阪にて熱帯音楽祭を準備。京都造形芸術大学客員教授になる(こども芸術学科)。日本現代音楽協会主催で、レクチャー「鍵盤ハーモニカと現代音楽」を行う。ピアノのための11の小品「静岡県立美術館」を作曲。Hugh Nankivell(音楽家)とSarah Goldingay(俳優)と”Geo Trio”として、雲仙ジオパーク会議にてワークショップ。インドネシアに短期滞在。インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校にて、ヨハネス・スボウォ監修の音楽プロジェクトに出演。京都yugueにて、川手直人、片岡祐介、やぶくみこ、と「かかのや」ライブ。組曲「ライスフィールド」、「かかのやのテーマ」を共同作曲。国際芸術センター青森にて、アーティスト・イン・レジデンス。畑の楽譜を作り始める。ロンドン、ヘイワード・ギャラリーにて、3日間ワークショップ。国際藝術センター青森にて、ランドアート作品「音楽畑」、インスタレーション「根楽」、サウンドインスタレーション「レタスピアノ」の3作品を発表。「熱帯音楽祭 in 大阪」にて、豊崎東小学校の子どもたちと新作発表。「こども鼻歌グランプリ」受賞作品とのコラボ作品をあいのてさんで発表。大阪音大にて特別講義。

  • Old People’s Home Remix #1

  • Hokusai Manga Quartet

  • Pasca Belhamasca

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